2008年9月25日 (木)

3日目最終日07 年夏島原鉄道の旅

2007年(平成19年)8月6日(月)


長いようで短く短いようで長かった島原鉄道の旅も3日目最終日となってしまった。
最終日の今日は島原半島から別れを告げ、大牟田へ渡りこれも是が非でも乗ってみたかった九州唯一の大手私鉄の西鉄に乗りに行く。だが島原から大牟田へはどうやって行くというのか、そこで今回登場する選択肢は鉄道ではない、高速船だ。

島原半島の中腹に位置する島原港からは対岸の大牟田へ向けて島原鉄道が経営する「島鉄高速船」が1日5便運航されている。この高速船を使えば島原港から大牟田までは1時間で行く事が出来、私のような島原から大牟田方面だけでなく熊本や博多へ行く為の便利な手段だ。高速船のきっぷを販売している島原港では大牟田までの高速船のきっぷだけでなく西鉄福岡(天神)までの西鉄線のきっぷともセットで販売している。大牟田からの西鉄への乗車が目的の私も当然購入する。
そしてこれが私を大牟田まで1時間で運んでくれる島鉄高速船だ。

「(写真)島鉄高速船島鉄1号」

島原港を発つのは朝の7時15分、朝一番の便だ。客はおよそ30人ほどだろうか、朝早いだけあって空席が目立つ。それでも島鉄高速船島鉄1号は出発する。今日も絶好の快晴だ。波も穏やかで航行をさえぎる物は何もない最高のコンディションだ。

「(写真)島鉄高速船から見た雲仙普賢岳」

高速船からも雲仙普賢岳がこのように実によく見える。噴火による災害からの復興著しい島原の街並みもよく見える。さようなら島原、またいつか会おう。
高速船だけあってしばらくすると周囲は360度見渡す限りの地平線しか見えなくなってしまった。大牟田到着までのしばらくの間、眠りについてこれから回る西鉄乗り尽くしの旅に備えて今のうちに疲れを十分にとっておく。
そして午前8時ちょうど、定刻通りに大牟田に着く。だが西鉄大牟田駅に行くにははこの大牟田の港から西鉄バスに乗り換えなくてはならない。だがバス代は高速船料金と込みになっている上、大牟田駅には7分ほどバスに揺られるだけで到着する。
そしてこれが西鉄大牟田駅の駅舎

「(写真)西鉄大牟田駅駅舎」

記念すべき西鉄初乗車の記念として券売機で西鉄の初乗りきっぷを買い、駅隣接のコンビニで朝食を調達する。この大牟田駅は駅弁は売っていないのでやむなく朝食はコンビニで買う助六寿司だ。他人からすれば何ともわびしい朝食に見えるだろうがそんな寂しさはこの西鉄大牟田駅に停車している西鉄車両群を見れば一掃される。とくとご覧いただきたい。

「(写真)大牟田駅に停車中の西鉄5122形」

この緑色に塗られた車体、西鉄のスタンダードカラーと言ってもいい普通列車で頻繁に運用される車両だ。西鉄といえば真っ先にこの色が浮かぶ人が多い。

「(写真)大牟田駅に停車中の西鉄8011形」

この6両編成の西鉄8000系特急西鉄福岡(天神)行きに揺られてまず目指すのは西鉄二日市駅だ。
この西鉄二日市駅は西鉄大宰府線と枝分かれになっている駅で列車の行き来が多い、つまり西鉄車両をたくさん撮影するにはもってこいという訳だ。尚西鉄二日市駅の駅舎も撮影する為、きっぷはこの西鉄二日市まで買ってある。早速西鉄二日市を目指し西鉄8000系に乗りこむ。

列車は特急だけあって快調に飛ばしていく。最初は右手にJR鹿児島本線を見ながら走っていたがすぐにJR鹿児島本線は見えなくなり、住宅街の中を西鉄特急はひたすら西鉄福岡(天神)を目指していく。住宅街と言っても私の住む横浜に比べれば田畑がどちらかというと多いだろうか。

大牟田から特急に揺られて50分、西鉄最初の目的の駅西鉄二日市に着く。早速向かいのホームに停車している西鉄車両にカメラを向ける。
これがその車両だ。

「(写真)西鉄二日市に停車中の西鉄 系」


3日目最終日のルート
島原港 7:15発〜(島鉄高速船島鉄1号)〜8:00着 三池港 8:03発〜(西鉄バス)〜8:10着 (西鉄)大牟田(駅西口) 8:26発〜特急(西鉄天神大牟田線、8016形列車番号A082、6両編成1号車、行先表示→西鉄福岡(天神))〜9:16着 二日市 9:33発〜普通(西鉄大宰府線、8036形列車番号6095、6両編成1号車、行先表示→大宰府)〜大宰府 9:38着〜(徒歩)〜9:49着 大宰府天満宮 10:14発〜(徒歩)〜10:20着 大宰府 10:29発〜普通(西鉄大宰府線、7551形列車番号6102、4両編成2号車、行先表示→二日市)〜10:35着 二日市 11:08発〜特急(西鉄天神大牟田線、2051形列車
番号A100、6両編成6号車、行先表示→西鉄福岡(天神))〜西鉄福岡(天神) 11:21着〜(徒歩)〜11:39着 天神 11:44発〜(福岡市交通局1号線(空港線)、1506形、6両編成6号車、行先表示→福岡空港)〜(地下鉄)博多 11:49着〜(徒歩)〜12:01着 (JR)博多 12:07発〜快速(鹿児島本線、クハ813-207形列車番号4340M、6両編成1号車、行先表示→門司港)〜12:52着 折尾(駅舎撮影) 13:25発〜普通(鹿児島本線、クモハ810-17形列車番号156M、4両編成1号車、行先表示→門司港)〜14:00着 門司 14:04発〜普通(日豊本線、クハ411-104形列車番号5548M、4両編成1号車、行先表示→下関、
信号待ちの為遅延)〜14:11着 下関 14:34発〜普通(山陽本線、クハ115-2011形列車番号654M、4両編成4号車、行先表示→広)〜14:42着 新下関 15:26発〜ひかりレールスター468号(山陽新幹線、727-7009形、8両編成4号車5番C席通路側禁煙車両サイレンスシート、行先表示→新大阪)〜17:43着(20番線着) 新大阪 18:10発(26番線発)〜のぞみ72号(東海道新幹線、(700系)726-229形、16両編成14号車6番E席窓側禁煙車両、行先表示→東京)〜20:29着 新横浜 20:50発〜各停(横浜線、モハ204-229形、8両編成6号車、行先表示→東神奈川)〜20:59着 東神奈川 21:00発〜(京浜東北線、モハ209-531形、10
両編成8号車、行先表示→大船)〜横浜 21:02着

2007年9月 6日 (木)

2日目07年夏島原鉄道の旅

07年(平成19年)8月5日(日)

明石海峡大橋を夜景に見ながら眠りにつき途中、下関に停車して寝台特急「あかつき」は本州内の直流電気機関車から九州へ向けて交流電気機関車への付け替えが行われているのは知っていたが眠気に負けてしまい付け替え作業を見に行くのが億劫になってしまい、下関でのメインイベント(?)の機関車付け替えは見る事なく「あかつき」は下関を出発、関門トンネルをくぐり、いよいよ自身3度目の九州に上陸した。

思えば初めて九州にやって来たのは8年前の99年(平成11年)の元日、当時京都発の夜行鈍行「ふるさとライナー九州」に乗って来たのが最初だ。
あの時は久大本線を当時走っていた普通客車鈍行に乗りに行くのが目的だった。終点の博多まで「ふるさとライナー九州」に乗り、博多からは久大本線普通客車鈍行の始発駅の鳥栖まで行ったものだ。もちろん手には今回の島原旅行と同じ青春18きっぷを握りしめて。

鳥栖から普通客車鈍行に揺られて日田彦山線の夜明駅まで行ってそこからは日田彦山線に揺られて小倉へ行き再び本州へ戻り、宇部に当時残っていた小野田支線のクモハ42形に乗ったものだ。

2度目の訪問は2004年(平成13年)の1月、同じく目的は普通客車鈍行に乗る事だったのだが乗った路線は筑豊本線、最後の通称赤い客車と呼ばれていた50系に乗りに行くためやはり夜行鈍行「ふるさとライナー九州」に乗り筑豊本線との接続駅であり日本で最初の立体交差型の駅である折尾駅で筑豊本線に乗り換え目的の上り普通客車鈍行に乗る為に 駅先の まで行き、上り列車でもある普通客車鈍行に乗り換え終点の門司港駅まで行ったものだ。
(※注意 筑豊本線の上り終着駅は若松だがこの50系普通客車鈍行は折尾から鹿児島本線に乗り入れ、門司港駅まで走っていた)

そしてこの時も片手に青春18きっぷを握りしめて宇部へ行き小野田支線を当時走っていたクモハ42に揺られたものだ。

あれから早6年、3度目となる九州での目的は諫早から加津佐を結ぶ島原鉄道の来年3月を以て廃線となる末端路線の乗車とこの島原鉄道に9両も残っている旧国鉄カラーの気動車の乗車並びに撮影だ。その模様の報告の前に鳥栖駅での寝台特急「あかつき」と熊本へ向かう寝台特急「なは」との切り離し並びに機関車の交換シーンをお届けする。下関の分までじっくりとお楽しみ下さい。

「(写真)鳥栖駅機関車切り離し&交換シーン」

鳥栖で寝台特急「なは」を切り離して身軽になった寝台特急「あかつき」は一路長崎へ向かう。そして私は手前の諫早で「あかつき」を降りて島原鉄道に乗り換える。寝台特急「あかつき」とは終着駅長崎まで乗る事なく諫早でお別れだ。
諫早に到着する前にこのような車窓が展開した。

「(写真)佐賀付近海」

この大海原の近くに線路が敷いてある事が信じられないくらいの素晴らしい風景だ。天気も快晴でこれから始まる島原鉄道の旅の前祝いのようだ。そんな思いに浸っているうちに寝台特急「あかつき」は島原鉄道との接続駅諫早に着く。「あかつき」とはここでお別れだ。

「(写真)あかつきレガートシート車両」

この寝台特急「あかつき」にはライバル夜行バスへの対抗策として女性客獲得の為に最後尾の客車は女性専用車両になっている。
外観もこのように他の客車と明らかに違うカラーリングになっており男性禁制をアピールしている。全国的に苦戦を強いられている寝台特急、今日は果たしてどのくらいの客がこの寝台特急「あかつき」を利用したのだろうか。

「(写真)諫早駅駅舎」

新築の駅舎で完成して10年経ったか否かという感じの作りだ。駅周辺もこれといった特徴のないスーパーが立ち並ぶ何処にでも見られる光景だ。風情は感じられない。

「(写真)大村線車両」

諫早駅はこれから乗る島原鉄道だけでなくハウステンボスを経由して佐世保へ向かうJR大村線との接続駅でもある。
昨今のリバイバルカラーブームを受けてこの大村線にも旧国鉄カラーに塗り替えたキハ66、67が走っているという噂を聞いたが残念ながら対面は果たせなかった。
粘ってこの諫早駅でキハ66、67が来るのを待つという手もあるが今回の目的は島原鉄道、そんな事をしていたら時刻表通りに旅行を進める事が出来ない、名残惜しくも大村線諫早駅ホームを後にして島原鉄道乗り場へ向かう。

「(写真)島原鉄道2511形」

記念すべき島原鉄道初乗車となる車両は島原鉄道の主力車両2500形だ。この列車に乗ってまずはこの8時40分発の113列車の終点であり車庫もある南島原駅を目指す。座席も運良く景色のいい進行方向左側の海が見える場所を取る事が出来た。そんな海側の車窓から写した写真は以下の通り。

「(写真)海」

さっきの寝台特急「あかつき」から見た海と負けず劣らず素晴らしい風景だ。

「(写真)海に最も近い駅〜駅」
事前に海に最も近い駅とは知っていたが実際に見てまさかこんなにも海に近い事に驚いてしまう。
海に近い駅としては北陸本線の青海川駅が有名だが私はまだこの青海川駅には行った事がない上ご存知の方通り、先日の新潟沖地震の影響で土砂崩れの被害に遭ってしまい現在も不通の状態が続いている。
いつの日か訪問を果たしてどのくらい海に近いのか比べてみたいが今は一日も早い復興を遠く諫早から祈るのみだ。頑張ってほしい。

「(写真)国見高校優勝記念碑」

この〜駅は高校サッカーで有名な国見高校の最寄り駅になっておりこのように駅ホームに記念碑が設置してある。

「(写真)南島原駅駅舎」

諫早から列車に揺られる事1時間18分、113列車の終点の南島原駅へ到着する。島原鉄道の駅舎はホームに屋根しかない無人駅や近年改築されたと思しき新しい駅舎ばかりで風情に欠いているのだがこの南島原駅は違う、このように昔ながらのしかも堂々とした造りだ。しかも鉄ヲタは私以外には1人2人しか見当たらない。撮影ポイントでの譲り合っての撮影を考える必要はなく人気も少ない。安心して購入間もない私の新しい相棒の最新デジカメ、オリンパスμ780でこの素晴らしい駅舎を撮影する。

「(写真)南島原駅きっぷ売り場」

南島原駅の見所は駅舎だけではない。きっぷ売り場はこのように券売機などなく格子状の窓口からきっぷを購入するスタイルだ。昔はこうした格子状の窓口が全国の至る所で見られたそうだが実際に見るのは初めてだ。
改札口も自動改札機などといった代物はなく、かといって鉄骨製の改札口もない出札口のそばの小窓から顔をのぞかせる駅員にハサミを入れてもらうスタイルだ。何から何まで昔ながらの鉄道の原風景がここにあると言ってもよい。しかもこの南島原駅は来年3月の廃線の対象にはなっていない。だからこそこうした昔ながらの鉄道原風景がいつまでも残り続ける事を願ってやまない。
そして南島原駅の目玉、車両基地だ。

「(写真)南島原駅車両基地車両数枚」

私はこうした鉄道旅行をした際には必ず車両基地に立ち寄り、輸送に毎日奔走する車両達を撮る事にしている。
そんな中でもこの島原鉄道は別格だ。何故なら旧国鉄カラーの気動車を9両も有している上、前述の来年3月の島原外港〜加津佐間廃線に伴い運行区間が短縮されるとなるとその分余剰になる車両が発生する。その余剰の車両には車歴が長いこの旧国鉄カラーの9両が選ばれるのが確実な情勢になってきている。
その為来年3月の廃線と同時期にこの旧国鉄カラー9両が運用を退く可能性が出てきたのでこの夏は残された最後のチャンスだ。いとおしむような思いで様々な角度からシャッターを切る。
そして1時間近く撮影をしていると次の列車がやって来た。島原鉄道の主力車両、キハ2500形だ。この車両で向かうのは雲仙普賢岳の噴火被害を伝えるニュースで何度も名前の出てきた深江に向かう。

「(写真)島原鉄道深江駅駅舎」

ご覧の通りシンプルなコンクリート製の駅舎で無人駅ではないが民間委託駅のようで近所に住む主婦と思しき女性が一人できっぷの販売を行っている。それにしても暑い。駅周辺にはコンビニも無いので列車が来るまでエアコンの効いたコンビニ内で涼む事も出来ない。仕方なく駅の屋根付きの待合室で涼む事にする。

民間委託の駅員は冷房の効いた駅員室で涼みながら仕事をしている。出来るなら私も入りたいくらいだが無論そんな事は出来る筈はない。
だがそんな暑さを和らげてくれる列車が到着した。トロッコ列車だ。

「(写真)島原鉄道トロッコ列車」

この島原鉄道では雲仙普賢岳の火山活動が落ち着き島原鉄道が完全復旧したちょうど10年前の97年(平成9年)から毎年夏にこうしたトロッコ列車を運転して災害から立ち直った島原鉄道の元気な姿を全国にアピールしてきたが、来年3月の部分廃線に伴いこのトロッコ列車も今年の夏が最後の運行になるという。
それを知ってか車内は子供達でいっぱいだ。私はこのトロッコ列車は撮影のみで今回は乗車の予定はない。トロッコ列車はこの深江駅で上り列車を待機した後、折り返して〜駅へ戻る。ところがその待機列車はこれだ!

「(写真)旧国鉄カラーキハ2013形」

まさに驚愕の瞬間だ!写真でしか見た事がないオレンジとクリームのツートンカラーの旧国鉄塗装車両が今私の目の前にいる!トロッコ列車そっちのけで私は夢中でシャッターを切りキハ2013形はすぐに深江駅を後にしていき待機中のトロッコ列車はキハ2013形が止まっていた上りホームへポイントを伝って行き〜駅へと去っていった。
そして終着駅加津佐を目指すべく私が乗り込む車両は私の今回島原鉄道訪問の最大の目玉、キハ2006形旧島鉄カラー、通称ネコひげだ!

「(写真)キハ2006形旧島鉄カラーネコひげ」

このキハ2006形旧島鉄カラー、通称ネコひげは昭和55年まで島原鉄道が諫早駅から国鉄長崎本線に乗り入れ長崎まで直通運転をしていた頃に用いられた車両だ。だからこうしてキハ66、67系を彷彿させるカラーリングになっている。
はやる気持ちを抑えつつネコひげに乗り込む。幸い窓際の座席も確保出来た。古い車両の為エアコンはなく扇風機のみだがさっきの深江駅に比べれば各段に心地いい。そんな心地よさに揺られながら終着駅加津佐まで諫早湾を車窓に見ながらのんびりと過ごす。
その車窓から見た諫早湾がこれだ

「(写真)白浜海水浴場前〜加津佐間、諫早湾」

そしてこれが終着駅の加津佐駅

「(写真)加津佐駅駅舎」
ごく普通のコンクリート製の駅舎、乗客も駅舎よりも今乗ってきたキハ2006形通称ネコひげに注目が集まっており中には女性の姿も見られる。鉄道好きの女性鉄子ブームはこの諫早にも浸透しているのか?
そう思いながら加津佐駅近くのコンビニで昼食を買い宿のある南島原まで引き返す。今乗ってきたキハ2006形通称ネコひげがそのまま引き返して行く。

「(写真)島原駅駅舎」

宿のある南島原に向かう前に立ち寄ったのが島原鉄道最大規模の駅舎、島原駅だ。言うまでもなく近くの観光名所島原城を模した駅舎で平成元年完成の新しい駅舎だ。駅舎内には広い待合室と土産物屋もある。その土産物屋で職場のみんなといつもお世話になっている自閉症者就労支援施設のスタッフへの土産物を買い宿に向かう。今日もよく動いた。自分にお疲れ様と言いたい。

宿に着いたのは夕方5時半頃、明日の最終日も動きまくるのでそれに備えてすぐに休む。
明日の最終日、果たしてどんな鉄道が待ち受けているのだろうか。

2日目ルート
〜(車中泊)〜8:12着 諫早 8:40発〜普通(島原鉄道(113列車)、キハ2511形、1両編成、行先表示→南島原)〜9:58着 南島原 10:55発〜普通(島原鉄道(115列車)、キハ2512形、1両編成、行先表示→加津佐)〜11:09着 深江(12:00着観光トロッコ列車2便撮影) 12:34発〜普通(島原鉄道119列車、キハ2006形旧島鉄カラーネコひげ、1両編成、行先表示→加津佐)〜13:32着 加津佐 13:57発〜普通(島原鉄道126列車、キハ2006形旧島鉄カラーネコひげ、1両編成、行先表示→南島原)〜15:04着 南島原 15:37発〜普通(島原鉄道、キハ2510形、1両編成、行先表示→諫早)〜15:41着 島原 17:07発〜普通(
島原鉄道、キハ2512形、1両編成、行先表示→加津佐)〜南島原 17:11着〜(宿に向かう)

2007年8月15日 (水)

1日目07年夏島原鉄道の旅

2007年(平成19年)8月4日(土)


今年2007年の横浜は例年になく梅雨が長くてようやく梅雨明けが発表されたのは3日前の8月1日、やっとうっとうしい季節から解放され私達の会社は今日4日土曜日から13日日曜日まで夏期休暇に入る。
それにしても待ちに待った夏休みの筈なのに不思議と実感が全然湧いてこない。これは思うに前述の長梅雨の影響もあるのではとふと思った。

と言うのは普通梅雨というのはだいたい7月20日頃には明けて、それからさんさんと太陽が照りつける真夏がやってきて夏到来の雰囲気が否が応にも高まる。そして暑さに負けずがむしゃらに働いているとそのご褒美として夏休みの到来というのが普通なのだが今年の場合、梅雨が明けてからまだ3日しか経っていない。真夏らしい暑さも来ておらず都会特有の蒸し暑いばかりの毎日が続いている。こんな陽気ではせっかく夏休みが来ても実感に乏しいのは当たり前、これが私の感想だ。
まあつまらぬ文章から始まった今年2007年の夏休み、今年の夏は来年3月いっぱいで長崎県島原半島を走る島原鉄道の諫早〜加津佐間の中で南線とも呼ばれる南半分に当たる路線の島原外港〜加津佐間が廃線になるのに伴い、島原鉄道南線にとって最後の夏を見届けに行ってきた。
厳密に言えば代わりの案があれば路線存続に向けて検討するという表向きの公式発表はあったが実際車社会に切り替わっている地方交通におけるこの現状、代わりの案があるとは到底思えず廃線になる路線に対するせめてもの慰めの言葉程度にしか聞こえず廃線は決定的なものと言っていいだろう。辛い台詞まで出てしまったのでそんな嫌な気分をかき消すかの如く2007年夏の島原鉄道の旅の模様をお届けする。

朝は自宅を8時前に出発する。島原半島という遠方に向かうにしては随分ゆったりとした出発だ。何故そんなゆったりとしたスケジュールなのか、それは島原半島到着は明日を予定しており今日の旅1日目は島原半島へ向かうまでの鉄道を堪能するためだ。
この目的地へ向かうまでにどれだけの鉄道に乗りどのようなルートを通るのか、これこそが我々テツの醍醐味であり目的地に到達する以上の大きな意味を持つのだ。
「それでは遠回りになる」
だの
「早く目的地に着きたい」
というのが一般論なのだがより多くの車両を見て様々な鉄道ルートを楽しみたい我々テツにはこうした目的地での観光を楽しむ以上に重要な意味を持つ。

そんな島原半島までの遠回りルートの記録、これからお届けする。

「(写真)東海道新幹線品川駅」
今回の旅の起点も無論地元の横浜がスタート地点なのだが、新横浜から東海道新幹線に乗るなんてありきたりなルートは取らない。何故なら実は私、東海道新幹線の品川駅をまだ利用した事が無かったので今回の旅行は初利用にはいい機会なので利用する。但しこの東海道新幹線だって博多まで行くのはもちろんの事、新大阪やら名古屋まで乗るつもりは無い、この東海道新幹線は浜松で乗り捨ててこの後は青春18きっぷやら私鉄を乗り継いで京都を目指す。

「(写真)クハ312-14形浜松駅」
浜松から乗るのは関西方面へ向かう青春18きっぷユーザーの強い味方、新快速に乗り名古屋を目指す。東海地方から関西地方にかけては沿線を平行して走る名鉄や近鉄、そして阪急、京阪電鉄という並み居る私鉄王国に対抗する為、新快速という特別料金無しで乗れる列車を多数運行して熾烈な客の奪い合いを演じている。
おまけにこの新快速を含めた東海・関西地区のJRは大半の車両でクロスシートを採用している有り難い車両だ。しかも青春18きっぷは新快速を含む快速にも乗れる。実に至れり尽くせりだ。東北地区に蔓延しているロングシートの701系には是が非でも見習っていただき、こんなふざけたロングシート車両は撤廃してもらいたいものだ。

「(写真)名古屋名物駅弁なごや一番」
名古屋では昼食の駅弁を買って今年10月で経営母体が変わる近鉄養老線に乗るべく名古屋から近鉄養老線の起点桑名を目指す。名古屋から桑名間のJR関西本線は近鉄名古屋線と線路が平行している上、車両基地や貨物ヤードも車窓から見えるテツにとっては何ともたまらない路線だ。
快速に乗ってきたので桑名には20分ほどで到着し発車までの時間は駅に出入りする近鉄車両を撮りまくる。

「(写真)近鉄車両」

写真が撮り終わり近鉄養老線は桑名駅を出発する。乗客は1両につき10人も乗っていない状態の典型的な地方私鉄だ。近鉄養老線は桑名から大垣を経由して揖斐までを結んでいる路線だが今回は桑名から大垣までの乗車を予定している。だがこの桑名から乗る電車は途中駅の美濃松山までしか行かない為、大垣を目指すには32分待って大垣行きの電車に乗るしかない。
そんな美濃松山駅はこんな感じの駅だ。

「(写真)近鉄養老線美濃松山駅」
このように上下線の行き違い設備があるだけの無人駅、こんな閑散とした場所を尻目に近くには国道 号線があり何台もの車が何事もなく通り過ぎていく。道路沿いにはコンビニも何軒かある。そのコンビニで飲み物を買い、さっき名古屋駅で買った駅弁「なごや一番」を食べる。何せ名古屋から桑名間は混雑の為駅弁は広げられず、桑名からこの美濃松山間の車内はロングシートの為、駅弁は広げられずこの美濃松山駅でようやく遅めの昼食だ。この駅弁「なごや一番」の中身はうな重で見られるタレをまぶしてあるご飯の上に名古屋名物のひつまぶしと名古屋コーチンがのっている何とも豪華な駅弁だ。空腹を満たすのにはちょうどいい、名古屋へこれから訪れる方は是非ともお試し下さい。

駅弁を食べ終わりしばらくすると大垣行の列車がやってきた。車内の客はやはりさっきと同じく1両あたり10人ほどしか乗っていない上、この美濃松山から乗った乗客は私一人だけだ。そんなのどかな電車がいつもと変わらず大垣を目指す。

「(写真)近鉄養老線養老駅」
今回の旅行で残念ながら時間の都合で降り立つ事は出来なかったのだが、降りる事が出来なかった事が実に悔やまれる駅がこの養老駅だ。
養老駅はその名の通り、養老乃瀧伝説の舞台になった場所でそれにあやかりこのように駅の天井にはたくさんのひょうたんが吊してある味わいのある駅だ。
駅舎の方は無論途中下車がスケジュールの都合で出来ないのだがきっと正面から見ると養老乃瀧伝説の名にふさわしい駅舎なのだろう、そんな想像力が掻き立てられる駅舎だ。何とか今年の10月の経営母体が変わるまでに訪れてみたいものだ。
この養老駅は上下線の待合い設備のある駅、さっき乗ってきた近鉄養老線桑名行きの電車と交換して大垣を目指す。

「(写真)近鉄養老線西大垣駅駅舎」
近鉄養老線大垣駅の一つ手前にあるのがこの西大垣駅、木造の歴史ある駅舎できっぷ売り場の方に目を向けても自動券売機などという代物も無く昔ながらの窓口で駅員を通しての対面式の販売方法を今に残している。
更にこの西大垣駅には近鉄養老線の車両基地があり、駅のホームからもこのようにたくさんの近鉄車両が見られる。
もちろん私は事前に西大垣駅に車両基地があるという情報をキャッチしていたので駅のホームからだけでなく別の角度からもこの西大垣駅の車両基地を見たかったのだが残念ながら車両基地を別角度から見られるような道が無い。実に残念だ。悔し紛れにこの西大垣駅からJR大垣駅まで歩いていき無駄足に終わった分を節約する。幸いこの西大垣駅からJR大垣駅までは歩いて20分ほどの距離で道も大通りに沿って一度左折するだけで行ける単純な道順だ。次の工程にも影響は無い上、古くから栄えている大垣の街並みの散策になる。多少暑いがせっかくの大垣の街並み、楽しみながら歩いていこう。

「(写真)大垣城入口」
大垣は古くからの城下町、しかも今日は偶然にも夏祭りの日になっているみたいでたくさんの模擬店が見られる。そういえばさっきの近鉄養老線の車内にも女子高生と思しき浴衣姿の女の子が結構いた。おそらく友達とこの祭りへ向かったのだろう。私がこれから西の九州島原を目指すが途中こうした夏祭りの光景、或いは夏祭りへ向かう人達とかなり遭遇するかもしれない。そうなるとのんびり座席に座って車窓を楽しむというわけにはいかないかもしれない。そう思うと私の足は少しでも速く駅に着き座席を確保しなければという思いに変わる。自然に私の足は速くなり、いつの間にかJR大垣駅に着いていた。

「(写真)近鉄養老線大垣駅駅舎」

「(写真)JR大垣駅駅舎」
さて大垣駅から京都を目指して乗り込んだ電車、何とか座席は確保する事は出来、一路京都へ向かう。但しこの大垣から乗ってきた列車は途中の米原までしか行かない。米原では京都へ向かう新快速へ乗り換えだ。
米原へ到着するなり私は向かいのホームに止まっている京都へ向かう新快速へ座席を確保すべく重い荷物を手にしながらもダッシュを駆けてその結果、座席は確保出来た。これで京都までは安泰、のんびり出来る。
そして電車は間もなく京都に着く。
そんな京都駅で撮った車両は以下の通り。

「(写真)京都駅の車両」
さてしばらく京都駅に来ては客を乗せて去っていく車両を撮影した後、京都駅近辺にある銭湯に入って再び京都駅へ向かう。ここから乗るのは長崎へ向かう寝台特急「あかつき」だ。

「(写真)寝台特急あかつき」

今や貴重な存在になってきたブルートレイン、これまで乗ったブルートレインは「あけぼの」と「さくら」であり3度目の今回、関西発のブルートレインは初乗車だ。いやが上にも気持ちが高まる。
だがこの寝台特急「あかつき」、車内販売は一切無くロビーカーも無い為、電車に乗ったら寝る以外にする事が無い。食料を調達するには途中駅の新大阪と大阪でそれぞれ5分ほど停車するのでその間にダッシュで駅ホームのKIOSKで買うしかない。私は何とか飲み物2本とパン2個、そしておにぎり2個を確保した。何とも侘びしい。

だがその侘びしい気持ちを一掃したのはこの明石海峡大橋だ。

「(写真)明石海峡大橋」
車内からの撮影の為、ガラスに光が反射してしまい不鮮明な写真で申し訳ないがライトアップされた明石海峡大橋の勇士、分かるだろうか。
「あかつき」号ではわざわざこの明石海峡大橋が近づくとその旨を知らせてくれるアナウンスまであった。実に美しい。
このライトアップされた明石海峡大橋をまぶたに焼き付けて旅行1日目の報告はここまでにする。明日はどんな鉄道が私を待ち受けているのだろうか。


1日目ルート
横浜 8:38発〜普通(東海道本線(横浜〜戸塚間の線路内人立ち入りの為20分遅延)、サハE231-1084形、15両編成6号車、行先表示→東京)〜8:54着 品川 9:14発(24番線)〜ひかり405号(東海道新幹線、(300系)325-544形、16両編成5号車デッキ→三島駅手前から着席、行先表示→新大阪)〜10:35着 浜松 10:48発(3番線)〜(東海道本線、クハ312-14形、8両編成1号車、行先表示→大垣(豊橋から新快速))〜名古屋 12:13着〜(徒歩、駅弁調達)〜13:00着 名古屋(12番線) 13:30発〜快速みえ9号(関西本線、キハ75-105形、2両編成2号車、行先表示→鳥羽)〜13:48着 桑名 14:06発〜普通(近鉄養老線、625
形、3両編成3号車、行先表示→美濃松山)〜14:25着 美濃松山 14:57発〜普通(近鉄養老線、606形、2両編成1号車、行先表示→大垣)〜西大垣 15:56着〜(徒歩)〜16:33着 大垣 16:36発〜普通(東海道本線、モハ313-5004形、6両編成4号車、行先表示→米原)〜17:10着 米原 17:21発〜新快速(東海道本線、サハ223-1031形、8両編成4号車、行先表示→播州赤穂)〜京都 18:12着〜(徒歩、銭湯、夕食)〜19:42着 京都 20:02発〜寝台特急あかつき(山陽本線・鹿児島本線・長崎本線、オハネ15-353形、(荷物車1両を除き)10両編成8号車、行先表示→長崎)〜(車中泊)

2007年7月17日 (火)

さえない3連休、秘密兵器満を持して(?)購入

今年の7月の海の日を絡めた3連休は本来なら夏休みの前哨戦といってもいい連休なのだがご存知の通り、先週発生した台風4号に伴う嵐の為外出は早々とあきらめた。
そんな訳で14日土曜日、15日の日曜日と外出すらおぼつかず迎えた3連休最終日の16日月曜日、テレビでは10時過ぎに起きた地震の話で持ちきりだ。3年前の地震の記憶がまだ新しいというのに再びしかも前回を上回る規模の大地震だ。台風が過ぎたばかりだというのに度重なる天災、まさに言葉もない心境だ。被災地の方には1日も早く日常生活を取り戻せるよう私の方からも祈りたい。

さてそんな世間が波乱万丈の中、私は連休最終日の海の日に新しいデジカメを買った。今まで使っているデジカメは7年前に買った200万画素しかない古い富士フイルムのFinePixで動画撮影は出来ない上、手ぶれ補正なんていう気の利いた機能などある筈もなく新しいデジカメの購入、前々から考えていた。
ところがこの7月に私にもささやかながらボーナスが支給されたので自分に対するご褒美の意味も兼ねて新しいデジカメを購入した。新しいデジカメはオリンパスのμ(ミュー)780、そう浅田真央が宣伝をしているデジカメだ。

機能を私の分かる範囲で紹介すると、まず画素数は720万画素で手ぶれ補正機能も搭載、5倍ズーム機能(デジタルズーム併用で最大28倍まで可能)まで搭載している。さらにデジカメ本体のディスプレイ画面は4分割表示も可能という正に私の持っている7年前のFinePixは比較対象にならないくらい便利な機能が満載だ。

ところで何故私の分かる範囲での紹介に留まっているのか、私自身がカメラ音痴というのも理由だが一番の理由は、実はまだ開封していないしパンフレットすらまともに読んでいないのだ。
何しろさっき触れた画素数、手ぶれ補正機能の有無、優れたズーム機能を搭載しているか否かしか新しいデジカメの購入基準にしていなかったからだ。デジカメの説明書を読んでいないのは単に私の家に帰ってからのネット中毒が原因なのだが。

ともかく購入したばかりだというのに先が思いやられるメッセージの羅列になってしまったがまあこれから来る夏休みもそうだがその前にある週末の鉄道撮影に重宝してくれる事は間違いないだろう。このデジカメをよき相棒にしていく為にも説明書をよく読んで便利な機能をフル活用していかないと。でないとせっかくのこの安くない買い物、無駄になってしまうし宝のもちぐされ以外の何物でもない。通勤電車内の時間も利用してデジカメの勉強をしないと。

さて台風と地震に揺れたこの3連休は終わりまた仕事が始まる。次の休日は新しいデジカメの活躍にふさわしい好天になる事に期待して今日のブログ、ここまでにしたい。

2007年5月 4日 (金)

その3 07年 GW函館・青森旅行

20071953_169_1 「八戸駅東口駅舎」

20071953_168 「八戸駅西口駅舎」

昨日のきっぷの知識の勉強不足によるミス、そしておとといの函館山の濃霧という連日にわたる失態とがっかりをお祓いすべく、青森・函館旅行3日目最終日は2枚の写真から始めてみた。
そんな3日目最終日に訪れるのは、出発駅の八戸から4つ目の三沢駅から走っている十和田観光電鉄に初乗車、つまり乗り潰しを敢行して、十和田観光電鉄の終着駅の十和田市駅からバスに乗り、ちょうど10年前の97年に廃線になった(正式には97年に一度休線扱いにして復活に向けて様々な手段を講じたが、結果実らず2002年に正式に廃線となった)南部縦貫鉄道の終着駅であり車庫として機能していた旧七戸営業所へ向かいレールバスイベントを見て、さっきのルートを戻って八戸から新幹線「はやて」に乗り帰路につく予定だ。

このレールバスとは一体何なのかという人達の為に説明すると、鉄道車両の製作費を浮かすために列車で使っている車輪(台車)の上にバスのボディーを乗せたものがレールバスだ。
その為燃料は軽油で昔のバスのように運転席のギヤーは床から生えていると言った方が合うくらいにとても長く、やはりバス同様ワンマン運転になっている。
しかもその床から生えているギヤーは車両が方向転換の為に運転手が後部の運転席に移動する際には、床から長いギヤーを引き抜いて後部運転席へ向かいギヤーをはめてから運転をするという何ともレトロ感に溢れている鉄道だ。
これがその車両だ。

20071954_008 「南部縦貫鉄道車両」

このように何とも小ぶりで愛らしいスタイルの車両だが素人から見れば
「どこが鉄道なんだ?ただのバスじゃん」
と思う者もいるだろうがそれは私が今さっき言った通りで半分は正解だ。何しろ燃料は軽油でボディーはバスと同じ部品、汽笛もバスと同じ音なのだから汽笛と言うよりクラクションだ。説明のつもりが長い前置きになってしまったがこの辺にして青森・函館旅行最終日の模様をお届けする。

20071953_170 「八戸〜三沢間701系」

八戸から4つ先の三沢まではまたしても青春18きっぷユーザーの天敵701系で向かう。おまけに私のきっぷに関する不勉強の為、青森・函館フリーきっぷのエリアの三沢までは自腹、その八戸〜三沢間の普通運賃は¥400なり。

今日は5月4日、もちろんゴールデンウイークの真っ只中なのだが部活なのだろうか、ジャージ姿の学生がたくさん乗っている。
そんな701系は午前7時59分に三沢駅に到着する。八戸からわずか4駅なのだがさすがに地方となると駅間距離が長い。だが都会と違い自然が数多く残る風光明媚な車窓のおかげなのか不思議と退屈しない。まるで時の流れがゆるやかになったかのようだ。これこそローカル線の醍醐味と言えよう。

20071953_181 「十和田観光電鉄三沢駅駅舎」

三沢からは今や少なくなってきた地方私鉄の一つ、十和田観光電鉄に乗る。観光電鉄とは言ってもそれは名ばかりで十和田湖を含む観光地、十和田国立公園へは鉄道だけでは行く事は出来ず、行くためには終点の十和田市駅から更にバスに乗り換えなくてはならず観光地へのつなぎ役の役割を果たしている。
いや実はそのつなぎ役としての役割すら果たしていないようで、十和田国立公園へ行く観光客は殆どが青森や盛岡或いは東京といった都心から観光バスで十和田を目指す。だからこの十和田観光電鉄の本来の役割は沿線住民の足として走り続ける事なのだが、この路線も過疎化の影響で赤字続きで廃線になってもおかしくない状況が続いている。東急で使われていた車両が走り、沿線の途中には桜並木に囲まれた場所もあり横浜は4月上旬に桜は散ってしまったが、東北は今がちょうど桜前線が来ている時期で満開の時期だ。
こんなにいい路線なのに経営が厳しいとは。ローカル線という言葉が出ると決まり文句のように言ってはいるが何とかならないのだろうか。

20071953_194 「十和田観光電鉄車両」

20071953_197 「十和田観光電鉄終着駅十和田市駅」

列車は30分弱で終点の十和田市駅へ着く。ここからはバスに乗り換えて南部縦貫鉄道の旧七戸営業所へ向かう。

20071954_003 「南部縦貫鉄道旧七戸営業所」

十和田市駅からバスに乗り揺られる事およそ30分、更にバス停から歩いておよそ10分で七戸営業所へ着く。ここでの目的は廃線巡りではない。さきほど紹介したレールバスが実は今日5月4日と明日の5月5日、かつての南部縦貫鉄道の運転手やボランティアの手で運転されているのだ!
前述の通り、ちょうど10年前に休線となり後に正式に廃線となってしまったこの南部縦貫鉄道には未だに根強いファンが多く、その声援に後押しされる形でこの南部縦貫鉄道の車両は毎年ゴールデンウイークになると体験乗車会を実施しており廃線からちょうど10年が経った今でもたくさんの人が訪れる人気スポットになっている。
体験乗車をするには会場内で販売されている¥300のチケットを購入する。一回購入すればこの一枚のチケットで今日4日と明日5日は乗り放題という優れものだ。
その体験乗車用のチケットにはデザインの異なる3種類があり、どれもレールバスを中心に収めた魅力あるデザインばかりだ。
ちなみに私はこれを購入した。

「(写真)南部縦貫鉄道体験乗車用チケット」

ちょうど10時から始まったこのイベント、私は10時を少し回った時間に到着したが既に人でいっぱいだ。10時でもこれだけの人なのだから早く乗らないともっと行列になるだろうと考えて早速体験乗車の行列に並ぶ。
順番は割と早く巡ってきた。やはりすぐに行列に並んで正解だった。
これが私の乗る車両だ。

20071954_021 「南部縦貫鉄道 キハ102」

車内は予想以上に天井は低く、うかつに車内を歩くと頭をぶつけそうだ。撮影のために運転席のそばの床にしゃがんだのだが、これは車内に乗っているたくさんの子供達への配慮もあるのだが、そうでなくても車内ではしゃがんだ体勢でないと天井に頭をぶつけそうで大変だ。とっさの事とは言え賢明な判断だったと思う。
車内は子供達が一番多く次に鉄オタを含む大人達、そして何と地元の青森青森朝日放送のカメラマンまでいる!すごい注目度だ。レールバスの定員は60名だが安全対策の為だろうか、1回あたりの乗車につき40名までとなっている。
走行コースについては以下の通り。

「(写真)南部縦貫鉄道体験乗車コースの書かれたパンフレット」

このコースで注目すべきは車庫内の引き込み線がルートに含まれている事だろう。車庫内の引き込み線なのだから無論現役時代の10年前では営業線として乗る事は出来ない。これだけでも価値は大いにあるし、おまけにそれに伴う前進後退の繰り返し、これも現役時代では絶対に味わえなかった事だ。
長い前置きになったがこの車両の魅力は百聞は一見にしかず、写真をご覧下さい。

20071954_010

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体験乗車の乗車時間はわずか10分足らず、本当に一瞬に過ぎない時間なのかもしれないが、作動しないとはいえ現在ではめっきり見なくなった腕木式信号機、赤錆だレールとポイントを手動で切り替える作業員、自然の中を軽快に走る一両のレールバス、ほんのわずかな距離をゴールデンウイークの限られた日のみの運行とはいえ、忘れられつつある鉄道の原風景を一瞬見た気持ちになれた。南部縦貫鉄道レールバス体験乗車、旅行の最終日を締めくくるに実にふさわしい。晴れやかな気分に浸りつつ旧七戸営業所を後にする。
最後に帰りがてらに寄ってきた以下の写真をアップしておく。

20071954_030 「東北本線野辺地駅駅舎」

「(写真)野辺地駅名物駅弁とりめしパッケージ¥700」

帰りの新幹線まで時間がある上、鉄道ダイヤ上帰りの新幹線に乗るには支障がなかったので急遽思い立って、10年前まで南部縦貫鉄道の始発駅だった野辺地駅へ寄ってみた。
レールバスに乗り換える為には駅構内の跨線橋を渡ればたどり着けたものだったが、レールバス乗り場に通じていた通路は既に跡形も無くなっている。
跨線橋を渡った先の南部縦貫鉄道レールバス乗り場にあった南部縦貫鉄道野辺地駅の味わいのある木製の駅長室兼駅員小屋も跡形もなく消えており元の自然に帰そうとしている。
JR東北本線の野辺地駅駅舎に向かうと、駅舎内の待合室には結構人がいたが駅舎を出て街並みを一通り見渡したが人気がほとんど感じられない。この野辺地駅までもが町の中心として機能する役割は終えたとでも言うのだろうか。野辺地駅は大半の特急白鳥(スーパー白鳥を含む)や特急つがるも停車して、恐山や高級マグロの産地としても名高い大間という全国的にも名高い観光地のある下北半島へ通じるJR大湊線への乗り換え口なのだが、やはりバスにはかなわないのだろうか。私は大湊線はまだ乗った事がないし今回の旅行でも日程的に立ち寄る事は出来ないのだがいつの日か是非行ってみたい。前述の恐山や大間のマグロだけでなく、この下北半島にも5年ほど前まで走っていた第三セクターの下北交通の車両が南部縦貫鉄道のレールバス同様、ボランティアの手によって動態保存並びに体験乗車会も実施しており、更に希望すれば実際に車両を運転も出来ると聞いている。私が運転台のハンドルを握るのかは分からないがともかくいつか訪れたい下北半島に思いを馳せな
がら昼食の野辺地駅の名物駅弁とりめしを頬張る。値段は¥700なり。

最後に帰りの東北新幹線盛岡駅での私の乗ってきた「はやて24号」と「こまち号」の連結の一枚で今回の青森・函館旅行報告ブログを締めくくりたい。

20071954_041 「盛岡駅のはやて24号とこまち号の連結」

最後に青森・函館旅行最終日の今日5月4日のルートを以下にアップしておきます。

八戸 7:38発〜普通(東北本線、クモハ701-1006、2両編成1両目、行先表示→青森)〜7:59着 三沢 8:09発〜(十和田観光電鉄、7901形、2両編成1両目、行先表示→十和田市)〜8:37着 十和田市(駅ターミナルビル) 9:23発〜(十和田観光電鉄バス、行先表示→まかど温泉)〜七戸案内所 9:49着〜(徒歩)〜レールバスイベント会場七戸営業所 10:01着〜(徒歩)〜10:20着 元南部縱貫鉄道七戸駅2番線ホーム 10:22発〜(南部縱貫鉄道体験乗車、キハ102)〜元南部縱貫鉄道七戸駅2番線ホーム 10:28着→イベント会場見学 11:10発〜(徒歩)〜11:32着 七戸案内所 11:51発〜(十和田観光電鉄バス、行先表示→三本木)〜12:1
8着 十和田市(駅ターミナルビル) 12:32発〜(十和田観光電鉄、7701形、2両編成1両目、行先表示→三沢)〜12:58着 三沢 13:23発〜特急つがる13号(東北本線、モハE750-102、6両編成2両目自由席、行先表示→弘前)〜13:39着 野辺地(昼食) 14:40発〜普通(東北本線、クハ700-1006、2両編成1両目、行先表示→八戸、尚もう1両はクモハ701-1006)〜15:06着 三沢 15:37発〜特急スーパー白鳥24号(東北本線、モハ789-204、6両編成4号車11番B席、行先表示→八戸)〜15:50着 八戸 16:05発〜はやて24号(東北新幹線、E226-111、10両編成(盛岡でこまちと増結して16両編成)2号車6番B席、行先表示→東京)
〜19:08着 東京 19:33発〜(東海道本線、モハ211-2011、15両編成3両目、行先表示→小田原)〜横浜 20:00着

2007年5月 3日 (木)

その2 07年 GW函館・青森旅行

昨日の函館山の事をすっかり忘れてさせてくれるくらいの好天に恵まれた青森・函館旅行2日目、まずは函館駅の1番線から午前7時8分に出発する1両編成のキハ40 831系に揺られながら道南を走るローカル線、江差線を乗りつぶす。
出発前に函館観光の定番「白い恋人」を土産に買い、さらに朝食の駅弁「北の家族」¥1,050を買う。
これが駅弁のパッケージだ。

「函館駅駅弁北の家族」

1両編成の車内を見渡すと、予想以上に地元の人達の利用は多いらしく座席の7〜8割は埋まっている。私の地元の横浜の平日の昼間並みの混雑といったところか。
そんな状況の中で私は駅弁「北の家族」を広げ朝食にする。ちょっと恥ずかしい。車が中心の北海道では祝日の鈍行なんて殆ど利用しないだろうから何の苦もなく駅弁を広げられると思っていたのだがまさかこんなに客がいるなんて、逆に言えば鈍行もまだまだ利用する人は多いようだ。地方の鉄道を利用するのは何も通勤・通学客だけではないようだ。ローカル線の各駅停車、まだまだ捨てたものではないようだ。
車内の会話に小耳を傾けてみると、方言は殆ど聞かれず沿線住民とおぼしき年配の方でも標準語で地元の話題を中心にした日常会話を楽しんでいる。
もっと注意深く耳を傾けると、やはりこの車両にも鉄オタと分かる若者が3〜4人ほどがボックス席を占拠しており、今年3月に廃線となってしまった宮城県のくりこま高原鉄道やら鹿島鉄道といった全国のローカル線の話に花を咲かせている。
車窓から時折顔を覗かせる津軽海峡を目にしながらぼんやりとしていたら津軽海峡線と江差線が枝分かれになる木古内駅を発ち、いよいよここからは初乗車となる江差線に突入する。函館駅から乗ってきたキハ40 831系はこのまま江差線終点の江差まで直行する。

木古内駅から枝分かれになり江差線内に入ると、函館〜木古内間よりも深い自然に満ちた車窓を展開するようになり、北海道の鈍行停車駅の定番といってもよい廃車になった貨物列車の車両を利用した駅舎も見られる。
それが以下の駅舎

20071953_036 「江差線内貨物列車車両の駅舎吉堀駅」

江差線沿線は山だけではなく川沿いを走る車窓も展開する。この光景はまるで私の地元神奈川県を走る小田急小田原線の秦野〜新松田間とよく似ている。秦野〜新松田間の車窓をご存知ない方は機会があれば是非足を運んでほしい。

20071953_041 「江差線湯ノ岱(ゆのたい)駅タブレット交換」

こちらは今回の江差線のメインイベントと言ってもいいタブレット交換のシーンだ。この湯ノ岱駅でタブレット交換がある事を事前に知っていた私は、この湯ノ岱駅が近づいてくるにつれてせっかくのタブレット交換という撮影スポットが鉄オタ共に邪魔されて納得ゆく写真は撮れないのではないかという心配がついて離れなかったが、ラッキーな事にタブレット交換にカメラを向けているのは私一人だけだった。好天も手伝いこのタブレット交換のシーンに関しては100点満点だと思っている。昨日の濃霧の函館山の事はもう脳裏には無い。

20071953_061 「江差線終点江差駅駅舎」

湯ノ岱駅を出たキハ40 831は家が駅周辺に2、3軒しかない小さな駅に律儀に列車は止まっていって函館駅を今朝7時08分に出て2時間10分、江差線終着駅の江差に到着する。到着したキハ40 831はそのまま10時08分発の木古内行きとして江差線沿線の乗客を拾って走っていく。その10時08分発の木古内行きには私も乗り次の目的地を目指す。それまでのしばしの間、私もキハ40 831も一休みだ。

この江差駅は駅前には小さなタクシー用のロータリーがあり、駅舎を出て右手には雑貨屋があり営業している。駅舎正面から見える人家の奥には津軽海峡の海が見える。私はその雑貨屋で北海道新聞の朝刊を買い、木古内へ引き返すキハ40 831内で新聞を広げる。新聞を広げるなんてそこら辺のオヤジと何ら変わりはない、わざわざ旅先で何でそんな事をと言う意見もなかろうが、一日中客の絶えない地元の横浜ではこんな無人のクロスシートの車両で堂々と新聞を広げる事なんてまず出来ない、ささやかではあるがこれも旅先でしか味わえない一種の至福の一時と言えなくはないだろうか。
新聞に見入っている間に時刻は10時08分を回り、さっきと同じルートを引き返して今度は函館より遥か手前の木古内をこのキハ40 831は目指す。そして私は江差線沿線から見える風光明媚な車窓を再び堪能しながらこのキハ40 831の終着と同じ木古内を目指す。

20071953_067 「木古内駅駅舎」

この木古内を後にして次に目指すのは、本州最北端を走るJR津軽線の終着駅であり本州最北端の駅でもある三厩(みんまや)だ。したがってこの木古内駅で北海道とはお別れだ。特急白鳥18号に乗り換えるわずかな時間のうちに木古内駅駅舎を撮影して駅売店をちらっとのぞいてみたのだが、私の愛読書の一つであり3月にはサイン会にも行った漫画「鉄子の旅」の全巻ボックスが置いてあるのには驚いた。鉄パワー恐るべし。

20071953_081 「津軽今別駅」

本州最北端の駅、三厩を目指すためには津軽線に乗らなくてはならないのだが、私は津軽海峡線の津軽今別駅で降りて津軽線に乗り換える。実はこの津軽海峡線の津軽今別駅を降りてわずか5分歩くだけでJR津軽線の津軽二股(つがるふたまた)駅へたどり着く事が出来る。その津軽海峡線津軽今別駅には数本の特急が止まるのだがこの駅はホームに小さく小綺麗な待合室があるだけの無人駅、おまけにホームは短く5両分しか止まるスペースはなく、私が木古内から乗ってきた8両編成の特急白鳥18号は3両がホームからはみ出している。特急列車の車両がホームからはみ出しているなんておそらくこの津軽今別駅しかないのではなかろうか。
津軽今別駅は土手の上にある構造になっており眼下にはJR津軽線の津軽二股駅が道の駅に隣接して存在する。

20071953_089 「津軽二股駅」

この津軽二股駅と隣接している道の駅は名前の通り車で来ている人は結構多く建物の中は賑わっている。だが津軽二股駅として利用している人はごくわずかで、三脚付のカメラで津軽線の撮影に興じている鉄オタ、そして私のように乗りつぶしに興じているとおぼしき鉄オタが数名いるだけ。津軽二股駅ホームも2、3両分しか止まれない長さのホームが道の駅の裏方といっていいくらい目立たないところに1本あるだけでホームには屋根すらない。この津軽二股駅、道の駅の端っこに追いやられているくらい忘れられた存在とでも言うのだろうか。
そうこう思いをはせているうちに乗るべき列車がやって来た。

20071953_097 「津軽線車両キハ40 557、キハ48 1510」

この津軽二股から津軽線の終着駅でもあり本州最北端の駅三厩までは駅数にして4つ、さっきまで滞在していた北海道とさほど変わらぬ車窓を見ながら列車は本州最北端の三厩に到着する。

20071953_105 「本州最北端三厩(みんまや)駅駅舎」

とうとうやって来る事の出来た本州最北端の駅、達成感が私の体を突き抜けていくようだ。私以外に降りた客は結構いて15名ぐらいだろうか、殆どの人達は駅前ロータリーに間もなくやって来たバスに乗っていずこへと去っていった。そして私は次の発車までのわずか16分の間に駅観察。
こうしためぼしい駅やいわゆる秘境駅に置かれている「駅ノート」を一通り読み私もメッセージを記入したが、列車の出発時刻になってしまったのでやむなく書きかけの駅ノートと三厩駅に別れを告げ、さっき乗ってきたキハ40 557、キハ48 1510に飛び乗る。今度この駅を訪れる日は来るのだろうか。

本州最北端の三厩駅からさっき津軽線に乗り込んだ津軽二股駅を通り過ぎ、列車は蟹田に着く。三厩から乗ってきたキハ40 557、キハ48 1510とはここでお別れだ。ここからは都会と変わらないロングシートで青春18きっぷユーザーの天敵として名高い(?)701系に乗り青森を目指す。

20071953_118 「クハ700-12」

地方都市のさほど混雑しない沿線をロングシートの車両を走らせる必要がどこにあるのだろうか。最近になり秋田運転所にセミクロスシートの701系がようやく出来たという話を小耳に挟んだが青森まで普及するのにはまだまだ時間がかかるようだ。青森に限らず全国の701系に1日も早く浸透する事を願ってやまない。

20071953_127 「青森駅駅舎」

5年ぶり5回目の訪問の青森駅、この青森駅駅舎は国鉄時代から全く変わっていない。とは言っても国鉄時代には写真でしか見た事がないのだが函館駅とは違いリニューアルはされていなくて、青森駅のプラットホームの端には青函連絡船への乗り換えに使用された跨線橋が未だに残っている。ただし板で打ち付けてある為、上り下りは出来ないが。
そんな使用されなくなった跨線橋の先にあるかつて青函連絡船として使われていた八甲田丸、これが今日の最終目的だ。

20071953_134 「八甲田丸」

この八甲田丸は1988年(昭和63年)に青函連絡船廃止後に「メモリアルシップ八甲田丸」として青函連絡船の資料館として第二の人生を送っており、船内には国鉄型車両も数両が保存状態良好で展示してあるらしい。実に楽しみだ。入場料¥500を払い早速見学だ。

20071953_136 「操縦席から」

こうした操縦席を一般解放をしたり写真やパネル、更に現役時代に実際に運航のために使われていた様々な器具が展示されている。
だがやはり我々テツにはこれが一番だろう。

20071953_140 「キハ80系」

20071953_144 「DD16 31形」

かつて国鉄時代の北海道で特急として使われていたキハ80系と客車鈍行の牽引機として使われていたDE10系だ。確かに保存状態はいい。暗い船内での撮影の為、やや見づらい写真になっているのはご勘弁願いたい。いやそれとも私の写真撮影技術の未熟由か?反省をしつつ八甲田丸をあとにする。今日はここまでだ。時間はまだ午後3時半と早いが宿でゆっくりする時間もいれたかったのであえてスケジュールに入れた次第だ。宿のある八戸までは臨時特急つがる86号クハ481-3005形、6両編成1号車に乗って向かう。ほどなく八戸へ到着して改札を出ようとしたらとんでもない失態を演じてしまう。八戸ではこの青森・函館フリーきっぷは使えないというのだ!
何故かというとこの青森・函館フリーきっぷの利用エリアは八戸から4駅先の三沢からになっており、従って今の三沢〜八戸間を精算しなくてはならないのだ!
それだけでない、明日はその三沢から十和田観光電鉄に乗り、終点十和田市駅から次の目的地を目指さなくてはならないので明日の八戸〜三沢間も手持ちのフリーきっぷではなく自腹になってしまう!フリーきっぷの有効エリアを見落とすなんて鉄オタの風上にもおけない事だ!これでは全国の鉄オタから締め出しを喰らってしまう!猛省にかられながら明日に備える。夕食は八戸駅駅ビル内のレストランでゲンかつぎにカツ定食だ。
最後に今日5月3日、旅行2日目のルートをアップしておきます。

函館(1番線) 7:08発〜普通(津軽海峡線・江差線、キハ40 831、1両編成、行先表示→江差)〜9:18着 江差 10:08発〜普通但し湯ノ岱〜木古内間は通過(江差線、キハ40 831、1両編成、行先表示→木古内)〜11:11着 木古内 11:23発〜特急白鳥18号(津軽海峡線、モハ485-3081、8両編成5号車4番D席、行先表示→八戸、定刻は木古内11:19発)〜津軽今別 12:03着〜(徒歩)〜12:09着 津軽二股 12:22発〜普通(津軽線、キハ40 557、2両編成1両目、行先表示→三厩)〜12:37着 三厩(みんまや) 12:53発〜普通(津軽線、キハ48 1510、2両編成1両目、行先表示→蟹田)〜13:34着 蟹田 13:47発
〜普通(津軽海峡線、クハ700-12、3両編成3両目、行先表示→青森)〜青森 14:25着〜(徒歩)〜14:39着 青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸 15:25発〜(徒歩)〜15:52着 青森 16:06発〜臨時特急つがる86号(東北本線、クハ481-3005、6両編成1号車13番D席、行先表示→八戸)〜八戸 17:21着(駅周辺を撮影してから宿に向かう)

2007年5月 2日 (水)

その1 07年 GW函館・青森旅行

今年2007年のゴールデンウイークはカレンダーの日の巡りがよろしくなくみどりの日改め昭和の日を含む4月28日から30日の3連休、さらに5月1日と2日の平日を挟んで3日憲法記念日から6日の日曜日までの4連休という構成になっている。
そのため今年のゴールデンウイークは比較的近場の行楽で済ませた人が多かったらしい。そんな中で私は5月2日の平日は有給休暇を取って5連休にして2日から4日までの2泊3日の日程で函館と青森の鉄道巡りの旅行をしてきた。その模様を当ブログでお伝えするわけだがいかんせん内容が濃すぎてとても一回の更新では収まりきらないので今回の2泊3日の旅行日程に合わせ3回に分けて旅行の模様をお伝えします。

それではどうぞ。

20071952_015 「行きの新幹線はやての写真」

早朝に家を出発して東北新幹線はやてに乗るべく東京駅へ向かう。私の手に握りしめている今回の旅行に使用するきっぷは「青森・函館フリーきっぷ」だ。
このきっぷは津軽海峡を挟んだ北は函館本線森駅まで、南の東北は奥羽本線の弘前、東北本線は三沢までのエリアがおよそ一週間乗り放題というきっぷだ。東京発だけでなく私の地元横浜市内からの料金設定もありゴールデンウイーク中も利用出来る有り難いきっぷだ。

そんな私が選んだ今回の旅の目的地は1日目は函館市内を走る函館市交通局の路面電車と函館観光の定番スポット函館山ロープウェイに登って函館山から望む夜景を堪能する予定だ。
函館へ来るのは今回で3回目になるのだがいつも鉄道ダイヤを最優先するがあまり、この定番スポットの函館山から望む夜景すら疎かにしてきてしまった。さすがに3度目の函館となるとそうもいかないし私自身も個人的に函館山から望む夜景は是非見てみたいと思っていたので正に今回のチケットはうってつけだ。

そうこう思いを馳せながら八戸まで延伸されてからは初めて乗る東北新幹線はやて1号はあっという間に八戸に到着した。そして乗り換えまでのわずかな時間を縫って以下の車両を写真に収める事が出来た。

20071952_033_1 「JR八戸線うみねこ号 キハ48 1549」

20071952_031 「IGRいわて銀河鉄道」

20071952_040 「特急スーパー白鳥1号 クロハ789-101」

八戸からは「特急スーパー白鳥1号」に乗り車内販売で昼食の駅弁「帆立釜めし(¥900)」を頬張ったり青森〜油川間に見える国鉄型車両が多数停泊している青森運転所をわざわざ車内から撮影するなど函館へ向かう車内を一人楽しむ。
ちなみにその青森運転所に停泊していた車両は以下の通り

20071952_049 「青森運転所写真」

そして函館へ鉄道で行く時の絶対外せないスポット、青函トンネルを通過する。青函トンネルは青森側から数えて10個目のトンネルがそれに当たる。知らなかった者は是非参考にしてもらいたい。
そして午後1時14分、3度目になる函館駅に降り立つ。

20071952_084 「函館駅駅舎」

函館には5年ぶりに来たがその間に函館駅駅舎はこのように新しく生まれ変わった。以前の函館駅は青函連絡船時代の面影を色濃く以下の写真のような立派な佇まいだったが、このようにどこにでもあるような近代的な駅ビルになってしまった。

143 「旧函館駅駅舎 2002年4月2日撮影」

駅舎内は土産物のコーナーが広くなるなど全体的にきれいにはなったが、やはり個人的にはかつての青函連絡船時代の面影が無くなってしまったこの姿は寂しい気もする。
私は青函連絡船を使った事はなく未だに青函連絡船健在の時代の北海道に渡りたかったと一人悔やんでいるのだが、それだけに以前の青函連絡船時代の面影残る函館駅、いつまでも残っていて欲しいと思っていたのだがもうそれも叶わない、新しく生まれ変わった函館駅を受け入れていくしかない。

このリニューアルした函館駅にも改善された点がある。それは乗り換えが便利になった事だ。改札口から1番線から8番線まである函館駅の全ホームが段差無しで乗り換えがスムーズな構造になっている。以前の函館駅は改札をくぐって長い跨線橋を渡っていった記憶があるが、この乗り換えがスムーズになったのは我々障がい者を雇用する特例子会社の一社員の目から見ても素晴らしいと思う。万人に対してより一層の利便性の向上に期待したい。

さて3度目の函館はあいにくの雨模様となってしまい傘をさしながらの移動が実に大変だった。特に路面電車の停留所は泣きだいくらいにスペースが狭く、あまりの狭さに入線してきた路面電車に傘がぶつかりそうなくらいだった。
ここまで文章ばかりが続いてしまい、入力している私自身も当ブログを見ている者も疲れるだろうからここから先は写真中心の構成にさせてもらう。それではどうぞ。

20071952_091 「キノコ型操車塔」

函館市営交通局十字街停留所の側に建つ操車塔だ。この操車塔というのは、路面電車の信号操作をするために建てられたいわゆる高台の事だ。特にこの十字街停留所では函館どっく前行きと谷地頭行きに分岐するいわゆる三叉路のような線路構造の為、この操車塔は交通整理の観点上、重要な役割を果たしてきた。
だが現在では既に使用されておらず、このように展示物の役割を果たしており隠れた函館観光の名物となっている。

20071952_099 「函館市営交通局八幡坂」

これも函館観光の定番スポットの一つ、路面電車に興味の無い方もこの写真、見覚えがあるだろう。この函館市営交通局はレトロを基調にした車両を持っており、この八幡坂から撮った写真は函館観光のガイドブックで頻繁に登場し、このレトロ調の車両の時刻表も函館市営交通局のホームページに掲載されており事前に時刻を知っていた私はこのレトロ調の車両の撮影、楽しみにしていたのだがあいにくの雨模様の為か今日はレトロ調車両の運用が無かった。その為以下の写真で我慢して欲しい。

20071952_100 「八幡坂を通過する車両」

20071952_110 「函館どっく前停留所」

函館市営交通局に3つある終点の停留所の一つ、函館どっく前の写真。路面電車の行き先表示には平仮名でデカデカと目立つように「どっく前」と表示されている。その停留所はここの事だ。

20071952_159 「谷地頭停留所」

2つ目の終点の停留所、谷地頭だ。
この谷地頭停留所の手前は急な下り坂になっており、運転手は煩雑なブレーキ操作が大変だろうなあと鉄オタの一人として思ってしまう。

20071952_169 「駒場車庫」

函館市営交通局の要所、駒場車庫だ。車庫の近くには「駒場車庫前」という停留所があり「駒場車庫前」を始発終着にする車両もあり路面には車庫への引き込み線が見受けられる鉄オタには何ともたまらないスポットだ。駒場車庫へ来るのは2度目だが何度来てもこれはたまらない。

20071952_184 「湯の川」

そして函館市営交通局3つ目の終点、「湯の川」だ。この周辺は古くからの湯治場としても有名で立派なホテルも数多く見受けられる。だが観光客の大半は観光バスで来るらしく周辺は観光バスがたくさん行き交う。
前回函館に来た時もそうだったが路面電車に乗って湯の川温泉に行く人なんて見た事がない。せっかく温泉地を名乗る停留所があるというのに。路面電車はあくまで生活手段としか思っていないのだろうか。

20071952_125 「SL函館大沼号」

函館本線函館〜森間の8の字路線を回り、函館駅に戻ってきたSL函館大沼号だ。さすが蒸気機関車は人気者、周囲にいる鉄オタでない人達も一斉に携帯電話のカメラを向けている。
このSL函館大沼号、すぐに車庫へは引き返す事はしないで、機関士が子供達を運転席(キャブ)に乗せて記念撮影をしている。子供達はみな大喜びだ。中にはキャブに乗せてもらってご満悦の大人もいる。私はキャブに乗せてもらえるように頼む勇気は無かったが。

最後に函館山から望む函館の夜景を何としても当ブログにアップしたかったのだが、当ブログで触れた昼間の雨模様の影響で函館山に着いた夜7時は濃い霧に包まれてしまい、あの100万ドルの夜景を見る夢は叶わなかったのだ!
何しろ憎たらしいくらい霧が濃く、展望台内の歩いての移動さえ大変なくらいだった。函館山ロープウェイに乗る際にきっぷの窓口で今日は濃霧で視界不良とは聞いていたのだがまさかこれほどひどいなんて…。行けば何とかなるとは思っていたのだが自然を侮ってはいけない。霧の向こうの函館市内の100万ドルの夜景を恨めしながら宿に向かい明日以降に備えて仕切り直しをする。

さて明日の2日目は北海道道南を走る全国的にも少なくなったタブレット交換のあるローカル線の江差線やかつて青函連絡船として活躍した青森駅近くに停泊している八甲田丸などを中心にお届けする。
最後に青森・函館旅行1日目のルートを以下に発表して1日目の報告を終わりにする。

東京 6:56発〜はやて1号(東北新幹線、E226-1210、16両編成(盛岡でこまちを切り離して10両編成)4号車禁煙席19番窓側E席、行先表示→八戸)〜10:03着 八戸 10:15発〜特急スーパー白鳥1号(東北本線、モハ788-301、8両編成7号車5番A席、行先表示→函館)〜函館 13:14着〜(徒歩)〜13:45着 函館駅前 13:45発〜(函館市交通局、3002形布目号、行先表示→函館どっく前)〜13:49着 十字街(キノコ型操車塔撮影) 13:58発〜(函館市交通局、1006形人権号(元東京都電7033号)、行先表示→函館どっく前)〜14:01着 末広町(撮影定番スポットの八幡坂から十字街を14:08に発ったレトロ車両撮影→ゲット出来ず!!) 14:34発〜
(函館市交通局、720形、行先表示→函館どっく前)〜14:37着 函館どっく前 14:43発〜(函館市交通局、719形オサルの電車号、行先表示→湯の川)〜函館駅前 14:55着〜(徒歩)〜14:59着 函館(SL函館大沼号撮影) 16:06発〜(徒歩)〜16:16着 函館駅前 16:18発〜(函館市交通局、8002形、行先表示→谷地頭)〜16:32着 谷地頭 16:41発〜(函館市交通局、3001形、行先表示→湯の川)〜17:18着 駒場車庫前(駒場車庫撮影) 17:40発〜(函館市交通局、8005形美鈴号、行先表示→湯の川)〜17:45着 湯の川 17:47発〜(函館市交通局、8005形美鈴号、行先表示→谷地頭)〜宝来町 18:28着〜(徒歩)
〜18:37着 山麓駅 18:40発〜(函館山ロープウェイ)〜18:43着 山頂駅 18:59発〜(函館山ロープウェイ)〜山麓駅 19:04着〜(徒歩)〜19:14着 十字街 19:18発〜(函館市交通局、8101形(低床式)、行先表示→湯の川)〜函館駅前 19:22着(宿に向かう)

2007年4月 7日 (土)

長野電鉄村山橋の旅

2007年春の青春18きっぷの有効期限は今月4月10日、つまりこの7日土曜日・8日日曜日が最後の週末になる。おまけに今回の2007年春発売の青春18きっぷはJR発足20周年を記念して通常11,500円のところを8,000円で販売している。このまたとない機会を私は先月で廃線となってしまった鹿島鉄道を中心に今まで使ってきた。
そして今回2007年春の青春18きっぷの旅は長野電鉄で締めくくってみる事にした。

何故長野電鉄を選んだのか、その理由は昨年12月より運行を開始した小田急ロマンスカーの車両を利用した特急ゆけむり号だけではない。それだけが目的なら今回の長野電鉄訪問、別の機会に回していただろう。
では一体目的は何なのか、それが今回のタイトルになっている村山橋の撮影だ。

この村山橋というのは今となっては貴重な鉄道の線路と車道が並行して走っている珍しい構造になっておりその形態はおよそ10年前まで健在だった名古屋鉄道の犬山橋を彷彿とさせる素晴らしいものだ。
だがこの村山橋も犬山橋と同様、鉄道と車が並行して走るというのは昨今の交通上の観点からして安全とは言えるものではなく犬山橋と同様、鉄道用の鉄橋と車の鉄橋を分離するためこの貴重な鉄道と車が併走する橋は間もなく姿を消すらしい。姿を消す時期は今のところ未定だそうだがせっかくの機会、長野まで足を運ぶ事にした。その模様をお届けする。

2007年4月 1日 (日)

都電荒川線撮影リポート

桜が満開になった今日4月1日、東京都内の桜の名所として有名な飛鳥山を背景に入れた都電荒川線の撮影に行ってきた。
ところが今日2007年3月31日と言えば鉄ヲタ諸兄にはよくご存知、宮城県のくりはら田園鉄道と茨城県の鹿島鉄道、そして福岡県を走る西鉄宮地岳線の末端区間の西鉄新宮〜津屋崎間の3路線が廃線になるというのにいずれのどれにも足を運んでいないとはどういう事だ!と言う方もいるかもしれないが、私は風邪が治りかけで体調が万全とは言えない状態。この廃線となる3路線で最も近い鹿島鉄道に足を運ぼうと最初は思ったが、いくら営業最終日とは言え今年に入って既に2回も足を運んでいる鹿島鉄道へ行くのはさすがに飽きてきてしまった。他の2路線へ足を運ぶ為の万全な体調も往復する時間も満足にない為、遺憾ではあるが廃線路線への訪問は断念し、昨年の都電荒川線の桜背景の撮影の際に混雑を避けたいという理由で行かなかった都内の桜の人気スポットの飛鳥山をバックにした都電荒川線の撮影に行く事にした。その模様をお届けする。

2007年3月28日 (水)

ついに開運... 3度目の正直成就!

2月12日日曜日、3月10日土曜日と2度に渡って撮影を試みてはチャンスを逸していた京成電鉄開運号、35回目の誕生日の25日日曜日、誕生日の褒美なのかは分からないがついにキャッチする事が出来た!早速その写真をまず以下の通りアップする。

この開運号キャッチに成功したこの日は朝から決していい事ばかりではなかった。
まず前の日の晩は春の嵐の到来でもの凄い風が吹きまくっていたし、撮影に向けて出発した朝6時頃は風は止んでいたもののどんよりとした空模様で小雨が降っている。
こうした天候は不可抗力だからまだいいのだが朝、出発する時によりによって肝心の青春18きっぷを忘れてきた事を家を出発して5、6分ほど歩いた所で気づき、急遽引き返すという先が思いやられる失態を演じてしまい出発も遅れてしまう。こんな初歩的な失態を演じるようでは開運号はキャッチ出来ないぞ、というお叱りの台詞が何処かから聞こえてきそうだ。

横浜駅へは6時36分に到着する。当初の予定より20分近く遅い。こんな事で開運号、果たしてキャッチ出来るのか、一人気を揉ませてしまう。
横浜からは東海道本線に乗り東京へ向かう。そして東京からは京浜東北線で上野へ向かう。上野へ向かう途中の車窓を目にすると、雨が降ってきたらしく道行く人には傘をさしている人が目立つ。これではJRの上野駅から京成上野駅に向かって歩いている時に本降りになってくるかもしれない、そんな心配をしながらJR上野駅で降りて京成上野駅へ向かったが、幸い雨は小降りの状態になっており私は折り畳み傘を持っていたが傘がなくても何とかなる程度だった。少し安心した気持ちで京成上野駅へと入る。

はやる気持ちで京成上野駅の自動改札を抜けてホームへと続くエスカレーターを急いで降りたが、ホームには開運号と同じ4両編成の32 形はいたものの開運号の姿は無い。仕方なく今回も2度にわたる前例を踏まえ高砂駅で開運号をキャッチすべく特急に乗り込む、乗り込む車両は無論先頭車両、万が一開運号をキャッチした時に備えて次に停車した駅ですぐに引き返せるようにするためだ。
こうした備えはしたものの
「今回もまたダメなのでは」
という不安が頭をよぎってしまう。朝これだけの失態を演じてしまっただけに余計に心配は募るばかりだ。
だがそんな心配はすぐに吹き飛んでいった。何故なら京成上野を出て一つ目の駅の日暮里で早くも開運号のキャッチに成功したからだ!!

日暮里駅に私が京成上野駅から乗ってきた3841形特急が着いた時、反対の上りホームに開運号が入ってきた!もちろん特急は日暮里で乗り捨ててカメラを手にして早速撮影だ!
この開運号は普通列車京成上野行だ。この日暮里駅ではまず外観を限られた停車時間で可能な限り撮影してとりあえずは開運号には乗らず(乗れず)次に来た3402形快速京成上野行に乗り京成上野へ引き返す。そしてついに開運号へ乗り込みだ!

日暮里から乗ってきた3402形快速京成上野駅は京成上野駅西側のホームに止まる。開運号は東側に停車している!日暮里から乗ってきた快速3402形のドアが開くなりすぐに東側ホームへ向かう!
近くで初めてじっくり見る開運号3295形のカラーリングは、赤帯以外のいわゆる肌色のカラーリングは予想よりも結構濃いめで多少大袈裟に言うならば大味なカラーリングのように私の目には映った。そして内装だが先頭車両にはやはりというべきか、3人の鉄ヲタに占拠されている。少し悔しい気もしたが、一日千秋の思いをしてようやく巡り会えたこの開運号3295形に乗れさえすれば後は何もいらないという心境になっていた。

それにしても内装も車体色と同じく大味気味の肌色をしており何故か近年の最新型車両からは感じられない暖かみを感じてしまう。更に車内の至るところには昭和48年頃まで特急開運号として運行していた時代の写真が貼ってある。実に心地よい。

そんな感傷に浸っている間に私と乗客と鉄ヲタを乗せた開運号3295形は京成上野駅を出発する。この開運号は金町まで行く、そうあの寅さんで有名な柴又を途中駅に持つ金町線へ乗り入れるのだ。この金町線は朝の時間帯以外は金町線の高砂と金町の間を往復する便のみしかなく、この私が乗っている京成本線から金町線へ乗り入れる京成電鉄は開運号でなくても珍しい存在となっている。
そんな開運号3295形は途中駅の千住大橋で2本の特急を通過待ちして金町を目指す。もちろんこの千住大橋駅で通過待ちをしている間も撮影にいそしむ。そう、通過する特急と一緒の写真をとらえるためだ。その写真を以下にアップする。

「開運号写真」
雨が本降りになっており撮影が大変だった!

さて京成上野駅を朝7時57分に出発した京成電鉄開運号3295形は午前8時30分に終点金町へ着く。無論ここでも写真撮影だ。その模様は以下の通り。

「」

「」

「」

こうして念願の京成電鉄開運号3295形の撮影は終わりだ。だが雨模様とは言えせっかくの日曜日、これだけでは終わらない。この後、私は金町から常磐線に乗り次の撮影地へ向かった。勘の良い方はもう分かるだろう。今月いっぱいで廃止になる鹿島鉄道の撮影にも行ってきたのだ!
だがこのブログのタイトルはあくまで京成電鉄開運号3295形、しかもそれだけでかなりの長文になってしまったので続けて鹿島鉄道の分までアップする余裕がなくなってしまった。したがって鹿島鉄道の分についてはまた改めてお伝えする事を報告してとりあえず今回の開運号3295形を終わりにする。またの機会をお楽しみに。

追伸
実はこの35回目の誕生日の日から風邪をひいてしまい、仕事には行けているものの当ブログについては出先の携帯からメッセージのアップをするのが精一杯で写真のアップは遅れてしまっている。お詫びをするのと同時に1日も早く体を療養して今回の開運号3295形の写真のアップと同時に鹿島鉄道の写真のアップにつとめていく次第なのでもうしばらくの辛抱を願いたい。

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